人工知能アシスタントのいる世界

そういう世界になりそうなので、なった時のことを想像してみる。


チャットアプリでは、人工無脳的に反応してくれるボットと、パーソナライズされた専用の人工知能アシスタントが待機していて、私たちの入力を待っている。

ボットは、今でも実現できているように、スケジュールの確認や追加をしたり、ピザを頼んだりできる。

今までと違うのは、人工知能アシスタントが、私たちに代わってこれらのボットやweb上のAPIを使い、これなんだっけと検索してみようと思った時は空気を読んで検索結果を教えてくれたり、口論になりそうになったら場を和ませてくれるようなことを言ってくれたりすることだ。必要とあれば無駄話だってしてくれる。

人工知能アシスタントには設定項目という概念はない。最初にどの人工知能アシスタントと契約するかは重要だが、こうしてほしいああしてほしいなどは、会話を通じて伝え、学習してもらう。

人工知能を通じてできることは、学習過程に応じて変わっていくものなので、必要に応じてボットやAPIのパーミッションを変えていく。

学習段階の人口知能が失敗してもいいように、大抵のボットやAPIには練習モードが備わっている。

ボットも人工知能アシスタントも稼働させるのはタダではないため、料金を支払って借りるのが一般的だ。ただしボットのほうは広告付きを使うことが多い。


さて、このような世界になったとして、人工知能アシスタントに料金を支払って借りるだけの価値が生まれるとしたら、それはどのような時だろうか。OSに組み込まれていたりチャットアプリ上に存在するだけでは難しい。

例えばSiriに料金を支払ってまで世話になろうとは思わないだろう。

例えばEchoのようなデバイスに人工知能アシスタントが存在していたとして、商品購入前に、似たような商品含めて比較したり評判を調べてくれたとしても、それだけでは不十分だ。

こちらが尋ねるまでもなく適切なタイミングで天気予報をチェックして傘が必要なことを知らせてくれるとしても、それだけはやはり不十分だ。

人間がその時思いもしなかったことを前もってアシストしてくれるようになった時に、その価値が生まれると思う。

従って、逆説的ではあるが、人工知能アシスタントはその価値が生まれるまで、無料のまま、あまり人工知能的ではないかもしれないささやかな機能を1つ1つ積み重ねていくことになるだろう。

思いつく限りのささやかな機能の積み重ねの果てに、人工知能アシスタントのいる世界がある。